2015年10月27日火曜日

罪という語の難しさ・奥深さ

皆さん、おはようございます!
朝起きた時、東京・世田谷の気温は12度でした。来週には11月を迎える訳ですから、このぐらい寒くなるのも当然ですね。しかし、去年までは、もっと寒いところに住んでいたのに、人間の順応性の高さ(というか、耐性の弱さ・・・)には、本当に驚かされます。今日も、日々是ハレルヤ!皆さんの一日が、祝福に満ちあふれたものでありますように、お祈りします!

どうか、あなたの大きな慈しみのゆえに、また、エジプトからここに至るまで、この民を赦してこられたように、この民の罪を赦してください。
(10月27日のローズンゲン・民数記14章19節)

今日のローズンゲンに示された聖書の言葉にも登場する「罪」という言葉。ふと、聖書の中でどれほど登場するのだろうかと思い、調べてみました。私が普段使用している、『聖書 新共同訳』によれば、罪という漢字(「罪過」とか「贖罪」なども含む)が、何と1,534回も用いられているのです!



ちなみに、「愛」という漢字は732回ですから、「罪」という文字が用いられるのは、その数約2倍!いかに、聖書という書物が「罪だらけ」のモノであるかが、よく理解できる、と言うわけです。

私が牧師になりたての頃、当時働いていた教会の信者さんから「どうしてキリスト教は罪・ツミ・つみ・・・・って、罪ばかりを強調するのですか?」と聞かれたことがあります。聖書には、愛の2倍も罪が登場するわけですから、そう言いたくなるのもよく分かります。

だからこそ、聖書の言葉を取り次ぐ仕事に就いている私としては、「罪」という言葉を正しく用いる者でありたい、思わされます。特に、教会の中にいますと、罪という言葉を当たり前のようにポンポン用いてしまっているのではないか、と思うことがあります。つまり、罪という言葉の持つ重さや、本当の意味ということを考えずに、うわべだけで、軽々しく、考慮の無い形で用いてはいけないという実感です。

今日のローズンゲンの言葉にある、「この民の罪」とは一体何か?日本語の「罪」という漢字が示している意味は、「法の網によって、背いている者を捕える」というものなのだそうです。いわゆる、一般犯罪を表しています。しかし、今日の聖書の言葉で言われている「罪」の意味は、明らかに一般犯罪を表現しているのではないのです。だから、「罪」という漢字の用い方としては、本来の意味を十分に表現していない、ということになります。

この聖書の言葉が指し示す「罪」とは、神の思いに同意し、一緒に歩むことが出来ない人間の姿を示しています。つまり、神が主体にあり、神と人間との関係において語られるのが、聖書で言われている「罪」の意味そのものです。つまり、聖書では、一般犯罪は、神と共に歩まない人間の態度が源流となって、そこに至るという考え方に基づいていますから、人を殺さなくとも、泥棒を働かなくても、神と共に歩めない姿を「罪」と表現します。「原罪」とも言われるのも納得です。

ただ、私としては、聖書に書かれている「ツミ」に、「罪」の漢字を当てはめることは、しっくり来ないのです。何か良い表現は無いだろうか。そんな風にいつも思うのです。そんな試みを牧師になってから、ずっと試みているのですが、なかなか難しいなと感じます。

言葉の用いる難しさと奥深さ。しかし、そんな奥深さの先には、大きな感動と喜びがある。そんなことを心に思いながら、今日も過ごしていきたいと思います。今日のローズンゲンにもあるように、神様の広く、大きな慈しみが、必ず見えてくるのですから!

*挿絵は、「漢字辞典-OK辞典」より引用しました。
http://okjiten.jp/kanji203.html

ベテスダ奉仕女母の家(「日々の聖句 LOSUNGEN」の出版元です)
http://www.bethesda-dmh.org/

ローズンゲンについて(文屋善明さんによる解説です。FACEBOOKより)
https://www.facebook.com/notes/212047565539379/

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